老荘思想など

2012年8月 3日 (金)

荘子の思想のメモ書き

「荘子―中国の思想 (徳間文庫)」[文庫]より、重要だと思った文章のメモ書きです。

老荘思想には、『道(タオ)』という言葉がありますが、
『道(タオ)』とは、説明することが中々難しい、
老荘思想において、「真理」とされる、
万物の源とされるような概念です。
 

【認識】
 すべての事物がいったん認識の領域に取りこまれて判断を形成するや否や、ただちにそれに対する否定判断が成立する。そこに生ずる否定の無限な連鎖反応は、究める術もなく、したがって絶対的判断は成立しえない。


【『道』の道理と数字】
 「一」すなわち主客一体の世界には、ことば=概念の介入する余地がないように見える。しかし、これを一と判断すれば、すでにそこに一という概念が生じたことになる。 主客未分の混沌たる体験が、一である判断された瞬間に、もう三までの概念を生み出したのである。


【『道』の道理と相対】
例えば、「左」ということば=概念に対しては、「右」という対立概念が生まれる。こういった相対的な分類に基づいて「秩序」と「等級」が形成され、「差別」と「選択」を生むことになる。


【胡蝶の夢】
 いつだったか、わたし荘周は、夢で胡蝶となった。ひらひらと舞う胡蝶だった。 心ゆくまで空に遊んで、もはや荘周であることなど忘れはてていた。 ところがふと目覚めてみれば、まぎれもなく人間荘周である 
 はて、荘周が夢で胡蝶となったのであろうか。 それとも、胡蝶が夢で荘周となたのであろうか。 荘周と胡蝶はたしかに別の存在とされる。 だが、荘周は胡蝶となって空を舞う。これを「物化」という。 


【『道』と境界】
 万物を万物たらしめる『道』は、万物に遍く内在し、万物との間に境界を持たない。~<中略>~『道』と万物の境界は、いわば境界のない境界なのだ。


【変化】
 知的認識は対象を得てはじめて確定するものだが、対象となる事物自体は、絶えざる変化の中にある。


【『道』を以て生きる】
 「道」は事物を離れてあるものではなく、個々の事物の中にある。この「道」に即していうなら、いっさいの事物に区別はない。「道」は本来、無限定なものである。したがって、事物の区別も一時的なものにすぎない。これが自然の姿である。
 しかし、人間の「知」は、本来、無限定な自然を、限定しようとする方向にしかはたらかない。なぜなら、事物を対比し、分別し、秩序付けるのが「知」だからである。
 心を虚にして、無心になりきることを指す。無心になりきて、いっさいをあるがままに受け入れていく、これが「道と一体化する」という無限に自由な生き方なのである。

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2012年7月22日 (日)

老子の「三つの宝」メモ

中国の思想家、「老子」の代表的な教えである、
『三つの宝』のメモです。

 

私には三つの宝があって、それを大切に守りつづけている。
その第一は慈しみ、
その第二は倹ましさ、
そして第三は世界の先頭に立とうとはしないということ。だ。
慈しみを守っているからこそ人々の心服が得られて勇敢になることができる。
倹しさを守っているからこそ、余裕ができて、
広やかにゆったりとしていることができる。
世界の先頭に立とうとしないからこそ、
人材をうまく働かせてその首長となることができる。

 

いかにも、「老子」って感じの教えですね。
これをどう扱っていくかは、人それぞれな気がします。

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2012年7月21日 (土)

ベッポじいさんの、のんびり仕事術

1973年、ドイツの作家ミヒャエル・エンデが書いた、『モモ』の、
「のんびりしたおじいさん」キャラ、『ベッポ』の名言をメモ。


 ベッポは、町がまだねむっている夜明けまえのこの時間がすきでした。それにじぶんの仕事が気に入っていて、ていねいにやりました。とてもだいじな仕事だと自覚していたのです。

 道路の掃除を彼はゆっくりと、でも着実にやりました。ひとあしすすんではひと呼吸し、ひと呼吸ついては、ほうきでひとはきします。ひとあし――ひと呼吸――ひとはき。ひとあしすすんではひと呼吸し、ひと呼吸ついては、ほうきでひとはきします。ひとあし――ひと呼吸――ひとはき。ひとあし――ひと呼吸――ひとはき、ときどきちょっと足をとめて、まえのほうをぼんやりながめながら、もの思いにふけります。それからまたすすみます――ひとあし――ひと呼吸――ひとはき――――――

…(中略)

 「なあ、モモ」と彼はたとえばこんな風にはじめます。

 「とっても長い道路を受け持つことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」

 彼はしばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。

 「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。」

 ここで彼はしばらく考えこみます。それからやおらさきをつづけます。

 「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな…つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」

 またひとやすみして、考え込み、それから、

 「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

 そしてまたまた長い休みをとってから、

 「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。」

 彼はひとりうなずいて、こうむすびます。

 「これがだいじなんだ。」


なんか、実生活でも見習えそうです。

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